IFAアロマセラピスト希依の心を癒やす香りと花のサロン

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呪いのお花?佐々成政とクロユリ

2020年6月24日

フラワーヒーリングセラピストの希依です。

先日箱根で見てきたお花、クロユリです。
ちょっと調べてみたら なんだかスゴイお話も出てきたので、 紹介してみます。

クロユリのプロフール

ユリ科バイモ属の高山植物で、
北海道や東北の高山の草地に咲いています。
その他、 千島列島やロシアのサハリン、カムチャツカ、北米で
見られます。

学名は Fritillaria camtschatcensis
カムチャツカのバイモ属という意味。

アイヌの人の利用の仕方


アイヌの人たちは、
クロユリ(エゾクロユリ)をアンラコルと呼んでいました。
「黒い、葉、もつ」という意味だそうです。

クロユリの鱗茎に糸を通して、
数珠のようにして乾燥させて冬の保存食にしました。

鱗茎には甘みとかすかな苦味があり、
茹でてつぶしたり、
野いちごや魚の卵や魚と混ぜて食べたとか。

また澱粉を取ったようです。

クロユリの花言葉


呪い

呪いの理由は多分佐々成政のエピソードに由来しているかも?

佐々成政の黒百合伝説 その1〜早百合姫

佐々成政(さっさなりまさ/1536-1588)は
安土桃山時代の織田家に仕えた武将で富山城の城主でした。

その成政が寵愛していた側室、早百合。
それを妬んだ他の側室の讒言(ざんげん)を信じてしまい、
早百合を斬ってしまう。
早百合は、
「私の亡霊が立山に黒百合を咲かせたとき、佐々家は滅びるであろう」
と言って死んでいった。
天正12年(1584)11月のこと。

佐々成政の黒百合伝説 その2〜北政所と淀君

早百合姫の事件の後、
天正13年(1585)佐々成政は秀吉と戦って大軍の前に降伏する。
天正15年(1587)成政は国替えを命ぜられ、
九州肥後へと移ったが一揆が起こり失敗。

天正16年4月(1588)佐々成政は摂津の尼ケ崎城に呼び出された。
そして成政は機嫌取りに秀吉の正妻、北政所に珍花ということで
クロユリを贈った。
それを知った淀君はクロユリを加賀の白山から取り寄せて、
ありふれた花のように飾ったのを見せたところ、
北政所はクロユリは珍花では無いと怒ったという。

佐々成政の黒百合伝説 その3〜一揆の責任を負う

天正16年閏5月14日、秀吉は佐々成政に
「一揆の責任はすべて成政が一身に負わねばならない」
として切腹を命じた。

早百合姫のクロユリの怨念から僅か4年後、
佐々成政は自害して51歳の生涯を終えている。

これがクロユリに絡んだ佐々成政のお話。
クロユリが呪いという花言葉を持っている理由ですね。

クロユリの香り

百合って香りがとても強かったりするので、
これも強いのではないかと思うのですが、
植えられていたところが遠くて香りを確認できず。

でも、海外では
スカンクユリ、汚いオムツ、外便所ユリなどの名前がついています。
川端康成も いやな女の生臭い匂いだと書いているそう。

香りは聞きたくなくなったけれど、
可愛そうな名前がついてる花がまた増えましたね。

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