フラワーヒーリングセラピストの希依です。
私は現在ハーブを育てたり、体に良さそうな食生活をしようと努力していたり、
自分の感情と向き合ったりなどしています。
その原点はやはり家族の病気でした。
私の家族は私を除いて全員持病を抱えていました。
私はありがたいことに健康に産んでもらったので、
私の役目は当然のように家族のサポートになります。
持病が悪化すると体調に加えて、精神的にも落ちていきます。
子どもの頃は特にそうで、
精神的にも落ちている家族がいることで家の中は常にピリピリモード。
イライラして気に入らないことがあれば八つ当たりもあるので、
いかに目立たなく大人しくしているかが大事でした。
でもそれが普通のことだったので、どこのうちも同じだと思っていました。
それが違うと知ったのは小学生になってから。
友人が話してくれる日常が私の日常とはあまりにかけ離れていたんです。
昨日家族で食事に行ったとか
一緒にゲームをして楽しかったとか
テレビを見ながら一緒に笑ったとか
常に笑って楽しくて家族が大好きという気持ちが伝わってきたのです。
でもうらやましいとかの妬む気持ちは一切なくて、
健康だと家族はみんな楽しくて笑っているんだ。
それって素晴らしいことじゃない?って思ったのです。
我が家でも笑って楽しく過ごすには健康でなくてはいけないんだと思いました。
最初の私の思い込みは健康になれば笑って楽しく過ごせるでした。
でも健康ってどういう状態を言うのでしょう。
私にとってはそれでしたが、家族はそうじゃないことはすぐにわかりました。
家族にとっての健康とは辛い状況が続かないことなのです。

今になって思うのですが、
病気で精神的にも落ちている家族にとって楽しいことは余計に辛かったはずです。
子どもにまで迷惑をかけているという自責の念も持っていたことでしょう。
私は私で小学生の時に始まった楽しかったことを家族に話してはいけないということは
結局両親を看取る時まで続きました。
そして私の楽しいことに関して一切聞いてくることはありませんでした。
今日学校でどうだった?
何が楽しかった?
聞かれたことがありません。
それだけ両親にとっての関心ごとは自分の病気であったし、それと向き合うことで精一杯だったのです。
病気が心の健康さえも奪っていった典型例です。
一方で、例え持病があっても心まで健康を崩すことがなかった人もいます。
そこで踏みとどまれたのはなぜなのか。
心をどう癒していたのか。
今となっては両親の心のケアのためにも
私は私が楽しいと思うことを話すべきだったのではないかと思います。
私が話せなかった分、
病気の家族を支えている人の心の健康が一番気になるのです。