フラワーヒーリングセラピストの希依です。
ちょっと子どもの頃の植物との関わりをお話ししていきたいと思います。
私の生家は一軒家で敷地内にアパートが一棟と小さいけど庭がありました。
子どもの頃は庭にある植物は一切触らせてもらえずに過ごしました。
庭に出ると植物が荒らされるのを心配したのかもしれません。
庭になんの植物があるのか全く知らなかったです。
後になって思い返すと
沈丁花、柿の木、八重桜、バラ、山吹、紫陽花、鈴蘭、万両、
ツツジ、サボテン、ニラバナ、ドクダミなどが生えていたのです。
両親の介護が終わって家を引き払うときに薔薇と山吹は持っていきたかったのですが、
家の売却が進まず生活に困窮したこともあってなくなくお別れしたのを思い出します。

子どもの頃に伯母が育てていたへちまも叔父が育てていたグラジオラスも記憶にあるのですが、
父と折り合いが悪くて勝手に敷地で植物を育てたと喧嘩になっていたなあと。
また自宅では草月のお稽古をしてました。
これは伯母が師範でしたが、
習わせることでやっぱり揉めたようでいつの間にかお稽古はなくなっていました。
そこまで折り合いが悪いのによくもまあ同じ敷地に住んでいたものだと思いますが。。。
そんな家庭環境ですから、植物が特別好きかというとそうじゃなかったです。
なので、植物との関わりは関わったら父の機嫌を損ねるものという認識しかなかったのです。
それから生家に住んでいたものの、植物とは全く関わらずに就職。
就職先がお香を扱う問屋だったので、お香、お線香という形で植物と関わり始めました。
生花の庭を振り返ったのは介護の終盤、
介護のありがたいシステムをフル活用させていただいた時です。
それだけでは足りず、月30万は介護サービスに使っていた頃に
母のために咲いている花の写真を撮り始めました。
そのときにやっと気がつくのです。
我が家の庭にも季節の営みがちゃんとあったのだと。

今後も築50年で30年は手入れをしていない我が家で生活していくのだろうなと思っていたのですが、
ここで父が勝手に敷地を全面コンクリートで固めてしまうんです。
庭の植物が介護の息抜きだったのですが、なんとも息苦しい庭になっていました。
私はこのときにここにはもういられないなと感じて、
介護が終わったら売却しようと決めたんですね。
自宅の活用方法もたくさんの方に相談して見たもののいいアイデアはなかったこともあったし。
ここにあるものはご両親の執着のものだからその執着に付き合うことはないんだよ
そう言われているような気がします。
今植物と関わっているのは私の過去の植物たちへの執着かもしれません。